前回記事の松川地熱発電所を後にして、東京へ帰るため一路盛岡へ。しかしレンタカーを返し新幹線に乗るのは夕方、まだ時間がある。だからその前にもう1箇所、盛岡城跡公園へと立ち寄ることにした。
盛岡城跡公園に来た (c)Bisoh
ブイブイと公園脇にある地下駐車場へ車を停め、トイレへ寄ろうとしたらその向かいの待合室にヘンなポスターがあったので思わず見入ってしまった。
『ハナクロスの伝説』ってなんじゃこりゃ(笑)。
よくよく見ると盛岡市動物公園のポスター。今回は行けないけど、行ってみたくなってしまったじゃないか。
駐車場の待合室にあった盛岡市動物公園のへんてこなポスター。ハナクロスの伝説「フッ」「ドギュン」「!!」「ふたりのあいだにいったいなにが?」「つづきはどうぶつこうえんで!」 (c)Bisoh
「ナイッスヨー」「べつになんもないっすよー」 (c)Bisoh
ここで神社の脇を見上げると、なんとも大きな岩が。お参りを終えてからそちらへ歩いていってみた。盛岡城築城時に掘り出された巨岩らしい。以来、南部藩盛岡の「お守り岩」として崇拝されているとか。こちらにも手を合わせ、いよいよ石垣の間を上って公園内へ。
まずは櫻山神社へお参り (c)Bisoh
神社脇にある烏帽子岩 (c)Bisoh
近づくとその大きさがわかる (c)Bisoh
烏帽子岩すぐ横にある南部稲荷神社 (c)Bisoh
烏帽子岩の別名は兜岩。確かに (c)Bisoh
現代建築にも巨大で素晴らしいものはたくさんあるけれど、もう少し原始的と言うか、こういうより自然に近い形の物で構成された巨大建造物は、また違った趣がある。
盛岡城の本丸目指して歩き出す (c)Bisoh
大きな石垣と優しい緑が続く城跡 (c)Bisoh
木々の作る陰が涼しい (c)Bisoh
はじめの三の丸を過ぎ、二の丸へ行くと、石川啄木の歌碑や新渡戸稲造碑がある。
啄木の歌は「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」。少年時代の啄木が学校の窓から逃げ出してきて、文学書や哲学書を読み、白日の夢を結んだという二の丸の片隅にある。要するに授業をサボってたわけだね。このだらしない感じだけは自分に通じるものがあるね。
新渡戸稲造碑は「願はくはわれ 太平洋の橋 とならん」とある。こっちはグローバルな志と言うか、自分のような人間には及びもつかない感じ…。はい、向こうに見える赤い橋渡って進むよー。
石川啄木歌碑 (c)Bisoh
「願はくはわれ 太平洋の橋 とならん」新渡戸稲造 (c)Bisoh
緑豊かな庭園 (c)Bisoh
赤い欄干の橋を渡って… (c)Bisoh
本丸に到着 (c)Bisoh
赤い欄干の橋を渡った先にある本丸。着いてみると、やはり城そのものがないためか少々寂しげ。しかもそこにある、上に何かがあったはずの台座がまたもの寂しさを強めてくれる。
この台座には本来威風堂々たる南部利祥(なんぶ としなが)の像があったそうなのだが、太平洋戦争の軍需資材として供出されてしまったと脇の説明にあった。像自体が彼の日露戦争時の功績と戦死をもって建てられたと言うのが少々皮肉な話ではあるが、やはり今となってはもったいないと言うしかない。
主のいない不自然な台座が… (c)Bisoh
台座の主、南部氏の像は太平洋戦争の際、軍需資材となってしまったそうだ… (c)Bisoh
本丸跡から見る盛岡の町 (c)Bisoh
しみじみと本丸跡を歩いてから、本丸の裏手にある腰曲輪(こしくるわ)へと降りていった。
だいぶ長くなってきたので続きは次の記事で。

ブイブイと公園脇にある地下駐車場へ車を停め、トイレへ寄ろうとしたらその向かいの待合室にヘンなポスターがあったので思わず見入ってしまった。
『ハナクロスの伝説』ってなんじゃこりゃ(笑)。
よくよく見ると盛岡市動物公園のポスター。今回は行けないけど、行ってみたくなってしまったじゃないか。


櫻山神社と烏帽子岩
高原の涼しさと車のエアコンで季節の温度感覚が麻痺した人間にはちょっと辛い平野部の暑さ。じんわり汗をかきながら、まずは公園入口横にある櫻山神社へお参り。ここで神社の脇を見上げると、なんとも大きな岩が。お参りを終えてからそちらへ歩いていってみた。盛岡城築城時に掘り出された巨岩らしい。以来、南部藩盛岡の「お守り岩」として崇拝されているとか。こちらにも手を合わせ、いよいよ石垣の間を上って公園内へ。





盛岡城跡公園
さあ行こう、というわけで、櫻山神社の階段を降りて改めて石垣に近づいて行くと、これはこれで迫力がすごい。烏帽子岩が特別大きいのはもちろんとして、石垣に使われている岩もとても大きい。それがスパっと面取りされて積み上げられている様がまた良い。現代建築にも巨大で素晴らしいものはたくさんあるけれど、もう少し原始的と言うか、こういうより自然に近い形の物で構成された巨大建造物は、また違った趣がある。



はじめの三の丸を過ぎ、二の丸へ行くと、石川啄木の歌碑や新渡戸稲造碑がある。
啄木の歌は「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」。少年時代の啄木が学校の窓から逃げ出してきて、文学書や哲学書を読み、白日の夢を結んだという二の丸の片隅にある。要するに授業をサボってたわけだね。このだらしない感じだけは自分に通じるものがあるね。
新渡戸稲造碑は「願はくはわれ 太平洋の橋 とならん」とある。こっちはグローバルな志と言うか、自分のような人間には及びもつかない感じ…。はい、向こうに見える赤い橋渡って進むよー。





赤い欄干の橋を渡った先にある本丸。着いてみると、やはり城そのものがないためか少々寂しげ。しかもそこにある、上に何かがあったはずの台座がまたもの寂しさを強めてくれる。
この台座には本来威風堂々たる南部利祥(なんぶ としなが)の像があったそうなのだが、太平洋戦争の軍需資材として供出されてしまったと脇の説明にあった。像自体が彼の日露戦争時の功績と戦死をもって建てられたと言うのが少々皮肉な話ではあるが、やはり今となってはもったいないと言うしかない。



しみじみと本丸跡を歩いてから、本丸の裏手にある腰曲輪(こしくるわ)へと降りていった。
だいぶ長くなってきたので続きは次の記事で。
Amazon